Vol. 151|富士市立こども療育センター みはら園 園長 赤池 多恵

赤池 多恵さん

みんなで育つ社会

子どもが生まれ、歩き、おしゃべりを始め、やがて集団生活に入っていくと、うまくやっていけるかどうか不安に思う親は少なくないだろう。ずっとそばにおいておきたいと思っても、子どもは成長し、親とは違う空間で過ごすようになる。子どもの成長に気がかりなところがあれば、なにがその子にとって最適で、どうしていけばいいのか、親は手立てを求めて奔走する。

富士市では1991年、子どもの障害の早期発見と療育を目的とした『こども療育センター』が設置され、専門スタッフが子どもと保護者をサポートしてきた。児童発達支援施設としてその一翼を担う『みはら園』の園長を務める赤池多恵(あかいけ たえ)さんは、「完璧な家庭なんてないんです。大切なのは人と人とのつながり」と、自身の経験から支援の大切さを痛感している。苦しい時に「苦しい」と言えば手を差し伸べてくれる人がいる。それが誰もが住みやすい社会の礎となるだろう。

みはら園はどんな子どもを対象にした施設ですか?

みはら園は、1991年に富士市が開設したこども療育センター内にあり、発達につまずきや隔たりがある3歳から就学前、幼稚園や保育園で集団生活をする年齢の子どもを対象に、一人一人に合った療育・保育を行う施設です。同じくセンター内にある療育相談室では0歳から就学前の子どもの発達に関する相談を受けていて、市が提供している1歳半児健診や3歳児健診の際にお子さんに気になるところがあると、保健師から療育相談室の紹介があります。

相談室には保健師、保育士のほか、理学療法士や作業療法士、言語聴覚士、心理師などの専門スタッフがいて、面接や発達検査を通じてお子さんの状況にあった助言や指導をしています。家庭では何事もなく過ごせていても、公共の場や集団に入ると適応できず、周りや親御さんが困ってしまうことがあります。集団生活に入る際、専門的な療育・保育の方が適している場合には、みはら園の紹介がありますが、市の福祉こども部が統括する福祉サービスのひとつですので、利用は富士市在住の方に限られます。また親御さんや本人による申請、つまり『福祉サービスを利用したい』という意思表示が必要です。高齢者福祉や障害者福祉と同じように、福祉サービスを利用するかどうかは権利の主体者が決めるんですね。

当園に入園するには、まず市役所の障害福祉課で『児童通所サービス受給者証』を発行してもらう必要があります。とはいえ、就学前の小さな子を『障害児』とすることに抵抗のある保護者も少なくありません。地域の幼稚園や保育園に在籍していて、先生からお話があり、当園に通うようになる方もいらっしゃいますが、保健師や先生などから障害の可能性を指摘されても、それを心理的になかなか受け入れられない親御さんもいらっしゃいます。私個人としては、それはそれでいいと思うんです。ただ、だからといって放っておくのではなくて、困った時にはいつでも声をかけてもらえればと思っています。お子さんや親御さんに適切な方法や考え方などをアドバイスできる存在でありたいですね。

みはら園での紙芝居の様子

みはら園での紙芝居の様子

専門スタッフがしっかり揃っている施設は県内でも珍しいそうですね。

28年前にできた児童支援施設としてはとても先進的でした。ただ、当時は障害別の支援に重点が置かれていたのですが、今は国連の障害者権利条約でも謳われているように、障害があってもなくても、誰もが合理的な配慮のもとで地域の普通学級で学ぶことができる『インクルーシブ(地域共生)教育』が求められるようになりました。厚生労働省も可能な限り地域の幼稚園や保育園への受け入れを進めるようにとガイドラインを出しています。障害者として特別視するのではなく、『いろんな人がいるのが社会』という考え方で、子どもたちをとりまく環境も変わってきています。

また、大人の生活スタイルも変化していて、共働きの家庭が増え、施設に対して保育だけを望まれることも多くなりました。当園は子育て支援にも重点を置いていますので、親御さんにも園の活動に参加してもらい、お子さんの特性への理解を深めてもらうのですが、仕事をしていると参加が難しいこともあります。地域の保育園や幼稚園を希望される親御さんが多くなっていますが、みはら園を選んでも選ばなくても、療育センターのスタッフがフォローしますし、年度途中で地域の園へ転出した場合でも、受け入れ側の園と継続的に連携して支援します。園児たちの行動を視覚的に促すように流しの床に順番待ち用の線を引くなど、最近は地域の園でもユニバーサルデザインが意識されていますし、先生方も発達障害などについて本当によく勉強されています。富士市では発達障害児への支援の質が全体的に向上していて、今はインクルーシブ保育・教育体制への過渡期にあるように思います。

赤池さんご自身も保育士としての経験をお持ちですが、最初から障害児の支援をしようと考えていたのですか?

幼い頃からずっと幼稚園の先生になりたいと思っていました。私は幼稚園の時に大阪から富士へ引越してきたんですが、言葉が違うので同級生とうまく意思疎通ができず困っていた時に、分け隔てなく接してくれた先生に頼りがいと優しさを感じ、自分も保育士になりたいと思うようになったんです。

高校、専門学校と、一般的な保育士になるための道を歩んでいましたが、転機になったのは専門学校での保育実習です。私が入ったクラスに、集団の保育に馴染めない子がいて、園ではひと言も話さなかったその子が、私には話をしてくれたんです。私に特殊な能力があったわけではなく、いつもと違う環境が引き出した行動だったようですが、その時の印象は今も心に残っています。

また、私の母がみはら園の前身の障害児施設『そびな学園』でボランティアをしていたので、母と一緒にその現場へ行ったこともありました。その時に、少し行動に特徴のある子もなにかしらの手立てがあれば変わると知りました。そして富士市の採用試験を受けた時に障害児の保育について聞かれ、『興味があります』と答えました。そこがスタートですね。市の職員として保育園や老人ホームでも働きましたが、何度かの異動を経て、みはら園では通算20年近く働いていることになります。

ふじやま学園で子どもと遊ぶ20代前半の赤池さん

保育士として最初に勤務したふじやま学園に
通う子どもと遊ぶ20代前半の赤池さん

自分で生きていく力を
獲得できることが大切

赤池さんがこれまで働いてきたなかで、変わってきたことはありますか?

子どもが育ちにくい環境、親が育てにくい社会になっているように思います。例えば、昔は泣くのは子どもの仕事といわれるくらいでしたし、通りすがりの人が泣いている子をあやしてくれることもありました。子どもも小さい頃から少しずついろんな人に接する機会があったんですね。子どもは『泣く』という最初の自己主張を存分にして育ち、集団生活に入っていくものです。でも今は子どもの泣き声に社会が敏感になっていますし、親御さんも泣かせてはいけないと強く感じるんでしょうね。

昔もクラスに行動の目立つ子はいましたが、最近はその数も増えているように感じます。子どもの様子も、育ちの環境の影響があるのかもしれませんが、非常に多様化しています。目に見える障害はすぐに分かりますが、社会性の引っ掛かりは成長するにつれて表れ、集団生活の困難の原因になります。また、保護者も気持ちが不安定になりがちです。それでも障害の特性が理解できて、場面場面でどのように対応していけばいいのかが分かると、お子さんも親御さんも生活しやすくなります。子どもの支援はもちろんですが、昔に比べて親御さんへのサポートも重要になっていますね。

小さな成長を親御さんが自分の喜びにできることが、これから先も子育てをしていくなかで絶対に大切だと思うんです。手をつないだり、抱っこしたり、この時期ならではのかわいらしさや子どもの柔らかさも親御さんにしっかり感じてほしいですね。いろいろと抱えてしまう親御さんもいますが、『苦しい時は言っていいんですよ』と伝えています。少しずつ負担を減らしながら、我が子がかわいい、大事な存在なんだと心から感じてもらえたらと思います。

保護者と一緒に子育てをしていくというスタンスなんですね。伴走してくれる専門スタッフがいるのは心強いですね。

私自身も、自分の子育てや親の介護などの経験を通じて、いろいろなことを感じ、学びました。私は保育士だから、きっといいお母さんになれると思っていたんです。でもいざ自分の子が生まれてみたら、子どもは言うことなんか聞いてくれませんし、思い通りにならないことばかりでした。自分一人でなんとかすればいいと考えていましたが、そううまくはいかず、多くの人に助けていただきました。子育てでは保育園や学童保育、小・中学校の先生にも本当にお世話になりましたし、同居していた夫の母もデイサービスで特別養護老人ホームのお世話になりました。人と人のつながりの大切さを実感するとともに、どの家庭にもなにかしら抱えていることがあって、100パーセント完璧な人や家庭なんてないんだと気づきました。

今は園長という立場の私ですが、保育士として働いていた時のことを振り返ると、『もっとうまく対応できたはずなのに』と思うこともたくさんあります。至らない点を保護者の方々からご指摘いただくこともありますが、保護者の方がそうせざるを得ない状況にまで追い込まれてしまっているんだと解釈しています。障害の有無ではなく、いろんな人がいるのが家庭であり、社会です。サポートを求めている方々には、これからもできるだけのことをしていきたいと思っています。

園での活動

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text /Text/Kazumi Kawashima
Cover Photo/Kohei Handa

赤池 多恵
富士市立こども療育センター みはら園園長/保育士

1961(昭和36)年1月11日生まれ
富士市出身・在住
(取材当時)

あかいけ・たえ/鷹岡中・吉原高校、静岡県立厚生保育専門学校(現静岡県立大学短大部子ども学科)卒業後、保育士として富士市の職員に。知的障害児入所施設『ふじやま学園』、みはら園の前身『そびな学園』と、障害児保育を主軸に、保育園や老人ホーム勤務の経験もある。2017年4月から現職。二男の母。モットーは、「自分のしていることはおてんとう様がみている」。

富士市立こども療育センター

障害の早期発見・早期療育を目的に1991(平成3)年に設立された施設で、「療育相談室」「みはら園」「管理担当」の三部門からなる。保育園、幼稚園、学校、病院、行政機関などと連携を取り、家族を含めた支援を行っている。

所在地:富士市伝法85
TEL:療育相談室 0545-21-9482
みはら園 0545-21-2010

富士市立こども療育センター

Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜

昔から「受験戦争」「就職戦争」はありましたが、世の中の競争は実感として激しくなっているように感じます。グローバル化のせいかもしれません。日本の競争力が低下して社会に余裕がなくなっているのかもしれません。あるいは「子どもを秀才に育てるために親がやるべきこと」のような情報が溢れているせいかもしれません。その子の個性を見つめ、ほんの小さな成長を毎日見つけてあげる。それが子育ての喜びだとわかってはいても、テストの点数や運動の成績を目の前にするとついつい忘れてしまいがちです。我が子の成長スピードを他の子といつも比較してしまうようなちょっとした強迫観念を抱えながら、今の親たちは生きています。

隔離するのではなく、障害者も健常者も一緒に参画できる「インクルーシブ」。その本質とは、それぞれの歩む歩幅が違うのは当たり前なんだから、みんないっしょに育っていこうよ、ということなんだと思いました。子どもも、大人も。

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