Vol. 136|国際地域開発コーディネーター 安藤 智恵子

安藤智恵子さん

ゴリラが教えてくれた地域共生

「ゴリラの研究をしている女性が富士宮の商店街にいるらしい」。こんな情報を耳にして、興味が湧かないはずがない。富士山本宮浅間大社前のお宮横丁そばにあるギャラリーショップ『縁や(えんや)』で店長を務め、地域の観光開発事業に携わる安藤智恵子(あんどうちえこ)さんが、その人だ。じつは富士山麓にもゴリラが生息していた、はずもなく、安藤さんは西アフリカ・ガボン共和国での長期滞在で10年以上にもわたる野生のゴリラの生態調査に参加した異色の経歴を持つ。

アフリカの大地でテント暮らしを続けていたとは想像もつかないほど、穏やかで華奢な印象の安藤さんだが、そのことばの端々には、「やりたいからやってみる」というシンプルで揺るぎない意志の強さが感じられた。巡り巡って富士宮へとやってきた彼女の国際的な視野と卓越した行動力が、エコツーリズムと呼ばれる地域づくりへの新たな風を送り込んでいる。

富士宮に移り住む前は、西アフリカのガボンでゴリラの研究をしていたそうですね。

2003年から2015年まで、ガボンのムカラバ・ドゥドゥ国立公園でゴリラの生態調査を行う京都大学の研究グループにいました。

私の任務は『人付け』と呼ばれるもので、餌を使わず長期間追うことで、人間への警戒心を取り除き、人間の前でも自然に行動できるように慣らすことでした。ラッキーなことに、私は初めて森を歩いた時に偶然ゴリラの群れと出会えたんですが、その後2ヵ月間ほどは全く見ることができませんでした。ゴリラは私たちの気配を感じると逃げてしまうんです。

ゴリラの人付けは毎日同じ作業を淡々と続けることが重要です。朝6時半にキャンプを出て、トラッカーと呼ばれる現地の案内人とともにゴリラの痕跡を探し、見つけたら後を辿る。夕方になったらキャンプに戻って、また翌日森に入って探す。そんなことの繰り返しです。その間に少しずつゴリラたちが警戒心を解いて、私たちの前に姿を見せるようになってきて、こちらも名前を付けたりして親密になっていく過程がとても楽しかったですね。最初の5年間ほどはテント暮らしで、毎日休まず人付けをやっていました。私にとってはこれが苦にならないんです(笑)。

ゴリラは絶滅危惧種として保護されるべき対象で、密猟や流行病、生息地の減少などが原因で頭数が減っているのが現状です。また4~5年に一度、1頭ずつしか子を生まないので、一度数が減ってしまうと回復するのがとても難しい動物なんです。調査には現地の村人との協力が必要不可欠ですが、村人たちが必ずしも私たち研究員と同じ視点で問題意識を持っているわけではありません。彼らにもゴリラの生態について知ってもらい、ともに生きる仲間として認知してもらうことが大切です。

村人はあまり森に入らないので、ゴリラを見たことがない人も多いんですが、ゴリラの映像を見せると子どもたちは大喜びでした。また、基本的には自給自足の生活を送っている村人たちにも調査に参加してもらうことで、報酬という形での現金収入を少しでも得てほしい、生活を豊かにしてほしいという狙いもあります。これは私が現在携わっているエコツーリズムの考え方にも通じるのですが、ゴリラだけを見るのではなく、地元の人たちと研究者が協力し合える人間関係を作り、持続的にゴリラと共生できる環境を整えていくことが、私たちの目的です。

ガボンでのゴリラ生態調査ベースキャンプのテント。安藤さんは基本的にこのテントで生活していた。

ガボンでのゴリラ生態調査ベースキャンプのテント。安藤さんは基本的にこのテントで生活していた。

ゴリラの魅力、また研究をしたいと思ったきっかけは?

幼い頃から動物全般が好きでしたが、ゴリラに対しては、高校生の時にたまたまテレビで『愛と霧の彼方に』という映画を観て、人間とゴリラが対話できることに感激したのがきっかけです。

ゴリラはヒト科に属し、遺伝的にもチンパンジーの次にヒトに近い動物です。彼らの生活を見ていると、昔はヒトも持っていたはずの良い性質、高度なコミュニケーション能力を垣間見ることができます。今後ゴリラの研究が進めば、人間社会にあるいろいろな問題や戦争を解決するヒントになるかもしれません。

ただ、すぐにゴリラ研究の道に進めたわけではありません。日本の大学でゴリラの研究をしているのは京都大学だけなんですが、行きたいからといって簡単に行ける大学ではないですよね(笑)。ゴリラへの思いは胸に秘めつつ、野生動物の研究ができる北海道の帯広畜産大学に進学して、エゾシカの研究に携わりました。

卒業後、青年海外協力隊としてアフリカのマラウイに3年間滞在して、国立公園内の保護官として野生動物の生態調査をしました。ここはサバンナ地帯なのでゴリラはいないんですが、アフリカの大地で野生動物と触れ合ううちに、『やっぱりゴリラの研究がしたい!』という思いが募っていったところで、赴任の期限で日本に戻ることになりました。

帰国後もゴリラ研究への憧れは冷めることがなく、意を決してこの分野の第一人者である現京都大学総長(取材当時)の山極壽一(やまぎわじゅいち)教授に直接電話をして想いを伝えたら、なんと、山極先生が会ってくださることになりました。その時は会ってお話をするだけでしたが、1年ほど経ったある日突然、『ガボンでのゴリラの研究で現地に長期滞在できる人を探しているんですが、どうですか?』と連絡をいただいたんです。まさかそんな著名な方が会ってくれるとも、その後実際に現地に行く話をもらえるとも思っていなかったんですが、もちろん『行きます!』と即答で、結果的に学生時代からの夢を叶えることができました。のちにどうして私に連絡をくれたのか聞いてみたところ、山極先生はひと言、『気立てがよさそうだから』と(笑)。その時は、『えっ、そんな理由で?』と思いましたけど、今振り返るとゴリラへの人付けや現地の人々とのコミュニケーションという部分で、私ならやっていけるだろうと見透かされていたのかもしれません。山極先生の本は何冊も読んで感銘を受けていたので、青年海外協力隊としてのアフリカ赴任を終える時点ではもう、一度電話をしてみようと心の中では決めていたのかもしれません。当時の私には、ゴリラの研究をするためには他に方法がありませんでしたから。

どうしてもやりたいことがあって、そこに向かって何か行動を起こすためには、やはり思い続けていること、そしてできることから恐れずにやってみることが大切なんだと思います。それが仕事でも趣味でも、一生懸命になれるものがあるということは、 自分の人生をより楽しくしてくれるんじゃないでしょうか。

私は行動する 思いを形にするために

ガボンの森でゴリラの森を歩くツアーを開発した安藤さんとメンバーの皆さん

©ECOLOGIC
ガボンの森でゴリラの森を歩くツアーを開発した安藤さんとメンバーの皆さん。
右上の黒っぽく見える部分はゴリラのベッド。

現在富士宮で外国人観光客向けに開発しているというエコツーリズムとは?

最初はとにかくゴリラに会いたくてガボンに渡りましたが、現地の村人たちとの交流が深まるにつれて、彼ら自身の生活が豊かになることも、ゴリラとの共生が進むためには必要なんだと強く感じるようになりました。

長い月日をともに過ごすことで信頼関係を築くことはできましたが、村人たちの生活を豊かにするための具体的なアイデアがなかなか浮かんできませんでした。そんな時に、現在の所属先でもある一般社団法人エコロジック代表理事の新谷雅徳(しんたにまさのり)さんとガボンで出会い、エコツーリズムについて知ったんです。私がこの富士宮に住むことになったのも、それがきっかけになりました。

エコツーリズムという言葉はまだ広く認知されてはいませんが、これは単に『きれいな自然を見ましょう』というものではありません。観光を通じて、地域の人たちがその地の自然、文化遺産を守る手助けとなること、経済的な恩恵を得られること、そして訪れた人にその地の自然、文化、生活様式を紹介することで、お互いが学び、尊敬しあえること。私たちはこの3つを基本理念として、国内外での地域開発・観光開発支援事業に取り組んでいます。そして富士山を望む富士宮の地にその発信拠点として『縁や(えんや)』というギャラリーショップを設けました。

ただし、私たちはあくまでコーディネーターという立場です。観光客に地元の営みや魅力を伝える主役は、長く住んでいる地域の皆さんです。当たり前と思える暮らしの中にも実はたくさんの宝物が眠っていて、私たちはそれを見つけ、皆さんがその価値に気づき、自らの技とことばで観光客に伝えることで、自分が生まれ育った土地に誇りを感じてもらえることが一番大切なことだと思っています。

この地域には富士山や浅間大社、白糸の滝をはじめとした素晴らしい観光資源がたくさんあります。富士山世界遺産センターもオープンして、今後ますます外国人観光客は増えていくでしょう。また、いわゆる観光名所ではない街の中にも、外国人観光客が興味を持つ多くの営みがあります。たとえば、京都や浅草など着物を着て街を歩ける場所は全国各地にありますが、富士山と浅間大社をバックに着物で記念写真を撮れるのはこの土地ならではです。他にも、マウンテンバイクでの里山巡りや宝永山へのトレッキングなど各種ツアーを企画していますが、地域にある宝物を一つひとつつなげながら、より大きな楽しみを提供していきたいですね。

富士宮版エコツアー『まちなかツアー』の体験・見学会での一コマ。 宮

©En-Ya Mt. FUJI Ecotours
富士宮版エコツアー『まちなかツアー』の体験・見学会での一コマ。宮町商店街の呉服店で着付け体験を行う外国人観光客モデル。

国内外のさまざまな土地で過ごしてきた安藤さんにとって、富士宮とはどんなところですか?

富士宮に来て最初に感じたことは、気候がいいということですね。私は日本海側の秋田県出身なので、冬に外で布団が干せるというのはちょっとした驚きでした(笑)。これだけ住みやすい土地は珍しいのではないでしょうか。そして、やっぱり富士山です。こうした気持ちのいい気候で、毎日富士山を見ながら過ごせるだけで、本当に素晴らしいことだと思います。

一方で、日々の暮らしについては、日本国内でもアフリカでも、あまり違いを感じることはありません。これまでに過ごしたどの土地でも、知り合いが誰もいない状態から始まって、たくさんの素敵な人たちと出会うことができました。この富士宮でも同じことができるんじゃないかとワクワクしています。

私は自己紹介の機会があると自分から『ゴリラの安藤です』と言うようにしています(笑)。そう呼んでもらえると嬉しいんです。ガボンの森で、会えるかどうかわからないゴリラを探し求めて歩き回っていた日々が、私の人生の中でとても満ち足りていた時間でした。ことばでうまく伝わらなくても、長い時間がかかったとしても、少しずつ信頼関係を紡いでいく。外国人観光客や地元商店街の皆さんに対しても同じですね。まずはニッコリ笑って『こんにちは』でいいんです。富士宮と世界を『縁(えん)』でつなぐためにできることを、この地域を愛する皆さんと一緒に創り上げていきたいですね。

©En-Ya Mt. FUJI Ecotours

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text/Hideyuki Inagaki
Photography/Kohei Handa

安藤智恵子さんプロフィール

安藤 智恵子

一般社団法人エコロジック
国際地域開発コーディネーター
秋田県秋田市出身・富士宮市黒田在住
(取材当時)

あんどう・ちえこ / 帯広畜産大学畜産学研究科卒業後、青年海外協力隊の一員としてアフリカ・マラウイ共和国の国立公園で保護官として活動。その後、念願であったゴリラの研究に身を投じ、京都大学理学研究科人類進化研究室教務補佐として2003年から西アフリカ・ガボン共和国でゴリラの生態調査や現地のエコツーリズム開発プロジェクトに従事し、2015年に帰国。国内外でエコツーリズムを軸とした開発支援を行う一般社団法人エコロジックのスタッフとして、富士山本宮浅間大社前のお宮横丁そばにある『縁や』の店長に就任。おもに富士宮を訪れる外国人観光客を対象に、文化遺産や地元の人々の営みを紹介するエコツアーを企画・開催するとともに、ガボンで進行している地域開発プロジェクトにも関わっている。

一般社団法人 エコロジック

世界の多様な自然環境、地域文化、地域の人々の尊厳を守ることを目的に、エコツーリズムを通じた企画開発、調査研究、情報提供及びコンサルタント業務を行う。これまでに世界十数ヵ国でのエコツーリズム活動に参画し、このうちガボン共和国では国立公園局や京都大学類人猿研究チームとの連携のもと、エコツーリズム開発に関する提案やエコツアーコーディネーターの研修などを担当。またプロジェクト終了後も継続的に、地域住民と共同でエコツアー開発や環境教育活動に取り組んでいる。

https://ecologic.or.jp/

 

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。